ぼうずの休日 夏休み特別編
「名人」の意外なルーツ
強い日差しに夏を感じる今日この頃です。
さて、現在将棋界では、藤井聡太二冠が活躍されています。
史上最年少で将棋のタイトル戦「棋聖戦」を制し、さらに「王位戦」のタイトルも獲得し、
二冠を達成しています。これからの活躍も楽しみな棋士です。
この将棋のタイトルの一つに「名人戦」というタイトルがあり、
この名人戦を制した棋士には「名人」の称号が与えられます。
囲碁や将棋の世界では、この「名人」は当世でも最も強い棋士に与えられる
称号の一つとされております。実はこの「名人」という呼称は京都の日蓮宗(法華宗)と
深いご縁があることはご存じでしょうか?
「名人」という称号が歴史上はじめて与えられたのが、
戦国時代から江戸時代にかけて活躍した、囲碁の名人「本因坊算砂(本行院日海)」
という日蓮宗(当時は法華宗)の僧侶だとされています。
本因坊算砂は当時京都にあった洛中十六本山の一つ、寂光寺(現在の顕本法華宗本山 寂光寺)
にある塔頭「本因坊」の住職でした。算砂は幼名を興三郎と言い、
八歳の時に叔父である寂光寺開山・久遠院日淵(1529~1609)に弟子入りして出家されます。
寂光寺にて仏教を修めるとともに、抜群の碁の才能を示し、
たちまちに碁の名手として知られるようになりました。
やがてその腕は当時京都へと上洛していた信長の目に留まります。
当時の囲碁は、戦国武将も嗜んでおり、織田信長は陣中においても囲碁を
打っていたという記録が残っています。
織田信長は洛中にて凄腕の棋士がいると聞きつけ、寂光寺にて御前試合を開きます。
このときの御前試合で算砂は圧倒的な実力を示し、織田信長から
「そちはまことの名人なり」と称賛され、「一世名人」と名乗ることを許されます。
これが現在でも各方面で特に優れた実力をもつものに送られる
「名人」という言葉の起源とされているのですね。
また、この功績により日海は「本因坊算砂」として、後に豊臣秀吉、
徳川家康といった天下人の招きに応じ碁会所を開くことになります。
この「本因坊」の系譜が後に「本因坊家」という家元になり、
棋界の頂点に君臨することになります。
江戸時代を通じて数々の名人を排出し、本因坊道策、本因
坊丈和、本因坊秀栄なども特に優れた打ち手として知られています。
このように囲碁や将棋の名人と法華宗とは深いかかわりがあったのですね。
また、囲碁だけではなく将棋の初代名人・大橋宗桂と棋聖・天野宗歩ともご縁があり、
お二人のお墓が深草の霊光寺に祀られています。
羽生善治永世七冠と森内俊之名人もお墓参りをされたというゆかりの深いお寺です。
将棋が好きな方は一度お参りされてみてはいかがでしょうか?