新年のご挨拶
本年もよろしくお願い申し上げます。
旧年は「コロナ禍」で、世界が、日本が、その対応と医療に全力を注ぎ、時間が過ぎていきました。今なお闘病生活を送られている方々にはお見舞いを申し上げ、お亡くなりになられた方々にはお悔やみ申し上げます。ご多分にもれず妙顕寺も、境内は閑散とし、日々成り行きに身を任せるしかないような毎日でした。しかし、昨年は宗祖の御降誕八百年の節目の年であり、宗門にとって重要な法要が各地で予定されていました。当山も社会の状況を見据えつつ、昨年内での厳修も期しておりましたが、最終的には、令和四年に「八百年御降誕」と、当山の「開創七百年」の法要を行うこととし、山務員一同、気持ちを切り替え、各山寺院、ならびに各位より支えていただいている「護山会」を中心に、本山の護持円満に頑張ってきました。 本年五月十七日のご法要までには、念願の諸事業に目処をたて、当日をお迎えしたく思っております。
ところで、日蓮宗新聞の論説委員で、医師でもある柴田寛彦上人が、『日蓮宗新聞』の論説で、新型コロナウイルスの感染拡大により私たちの心に生じた症状について取り上げ、ウイルスの蔓延により生じた心の症状は、「ウイルスに感染し発症した人に限らず、感染者が発生した社会全体に発症」すること、ウイルスに「感染していない、あるいはワクチン接種を終えたと楽観している人の心の中にも無自覚のうちに遅れて現れる」こと、また、心の症状が軽減しても後遺症が残って再発する場合がある、と述べていました。そして、こうした心の症状に対する「良薬」が、お釈迦様が説かれた法華経であり、日蓮聖人が「現在の日本国中に流行する疫病は日本国全体の心の病の反映であり、釈尊でなければ、法華経でなければ除くことはできない」とするご教示が令和の現在にそのまま当てはまるのではないか、釈尊の「良薬」である「お題目」という極めて汎用性の高いワクチンが身近にあることを忘れてはならないといっています。
私たちは、大自然のウイルスに自覚を以て謙虚に、ひとりひとりの問題として向き合わなければならないと考えます。政治が悪い、医療が悪い、マスコミの報道に問題があるとか、自分を取り巻く周りが、社会が悪いのだ、というように一種の自己疎外的な考え方が往来しているように思われます。 『報恩抄』には「法華経お題目のご精進の功徳は無限であり、その功徳によって他を救いたいと願いが届かないこともあります。このことを疑問に思われることもあるでしょうが、悪い結果が出てしまったのは、信じないというその救いたい人が起こした、自業自得によるものです」との意の大変厳しい宗祖のお言葉があります。
お題目の教示により自行し、本年こそは輝く年になりますようにご祈念申し上げます。