所願成就の由来
妙顕寺を建立した日像上人は、六老僧の一人である日朗上人の弟でした。日蓮聖人のご入滅の際にご遺命として、都である京都での布教を13歳という若さで託されました。
それから40年以上もの歳月を経て、元亨元年(1321年)に日像上人は妙顕寺を建立した後、建武元年(1334年)には後醍醐天皇より、勅願寺(国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺)として綸旨を賜わりました。
日蓮聖人のご遺命を願い続け、長い年月を経て叶えた日像上人の功績から、妙顕寺には、所願成就「願いを叶える」ご利益があるとされています。
日蓮大菩薩
1222年−1282年日蓮宗の開祖で、貞応元年(1222年)、千葉県の生まれ。一切経(お釈迦様の全ての教え)を勉強し、その中でも要となるのが「妙法蓮華経」であるとした。そこには誰もが平等に成仏できるというお釈迦様の教えが説かれ、法華経こそが人々を救う道であると説いた。ご入滅の際、枕元に日像を呼び、頭を3回撫で、ご遺命として京都への布教活動を託す。
日朗菩薩
1245年−1320年16歳の時に日蓮聖人の元で出家し、後に六老僧の内の一人となる。妙顕寺を建立した日像上人の兄でもある。
延慶二年(1309年)に土地の寄進を受け、千葉県松戸市に本土寺を建立する。後の日蓮宗僧侶としての規範となった人物である。
日像菩薩
1269年−1342年7歳の時に日朗上人に連れられて日蓮聖人に弟子入り。京都での布教を成就するため、壱百日の荒行を鎌倉で行う。長年の布教活動を経て、京都初の日蓮宗道場として妙顕寺を建立。その後、後醍醐天皇より勅願寺として綸旨を賜わる。
大覚大僧正
1297年−1364年京都での日像上人の説法に感心し、他宗から改宗。日像上人に続き、妙顕寺を後継した。延文三年(1358年)、未曾有の大旱魃時に行った雨乞いの祈祷の効験が後光厳天皇に認められ、日蓮聖人に大菩薩号、日朗日像上人に菩薩号、大覚上人本人は大僧正という位が与えられた。
妙顕寺の年表
1253年
1253年
立教開宗
1275年
1275年
日像上人の弟子入り
1282年
1282年
日蓮聖人 入滅
(日像上人14歳)
1293年
1294年
1293年
波揺り題目
1294年
日像上人 上洛
1321年
1321年
妙顕寺建立
(於 大宮通今小路)
1334年
1334年
後醍醐天皇より勅願寺として綸旨を賜う
1342年
1342年
日像上人 入滅
1358年
1358年
干害 大覚上人の祈雨
妙本寺時代
豊臣秀吉の命により現在地へ移転
1788年
1788年
天明の大火
現在に至る